瞑想って座るもの
ヒーリングおんのmico mavanaです
今回は瞑想って座るもの?
というテーマでお話しします。
瞑想はそのカタチのことではありません。
瞑想とはあなたを思い出していく道。
足を怪我したら座れません。
そうしたら瞑想はできないのでしょうか
体調が悪いから瞑想はできないのでしょうか
わたしたちはカタチというものに
縛られがちです。
座ることはできなくても瞑想はできます。
すべてをありのまま受け入れ
ただ循環のなかにある
優しい穏やかな魂の場所にあり
そこからすべてを見つめることです
って、、、どういうこと???
となりますよね
心地よい状態にあること
それが作られた心地よいではなくて
心の底から寛げる心地よい状態にあることが瞑想でまず辿り着く場所です
がんばる とか
役割 とか
優しくありたい とか
ちゃんとしなくちゃ とか
そういう誰かのためのわたしから
一度離れて
わたしのためにわたしをみる
ただわたしであること
お母さんらしく
父親らしく
社会人らしく
誰かが作ったらしくは
いらないのです
あなたはあなたらしくいればいいのです
お母さんとして
社会人として
役割を果たしていく
心地よく過ごしていく
心の底から寛いで生活していくこと
心の底から寛いで毎日ただあること
わたしがわたしである
イライラしないわたしになるのではなく
怒らないわたしになるのではない
違うわたしになるのではないのです
わたしがわたしであること
わたしがわたしである
その真ん中に出会う
再会することができれば
それ以外がどんなに荒れ狂おうが
揺れることはなくなります。
出会えたと思ったら
また揺れて
そんな繰り返しでいいのです。
急ぐことはない
大丈夫
だってあなたのなかに
あなたはあるのだから
それを思いだしていく道
それが瞑想
だから
座ることが瞑想ではないのです。
あなたらしい道で
あなたの心地よいを探していく
日常のなかで
魂の場所にいられるように
じゃ、なぜ座るのか?
魂の場所
わたしたちが
心の底から寛ぐ場所
そこに辿り着くには
まず自分をみることが大切です
はじめは集中も必要となります
座ることがその場所へゆくスイッチになることもあるでしょう
座る
という行為は
エネルギーとよりつながることになります
第1チャクラから第7チャクラ
わたしたちの縦のライン
そこから広がる横のライン
オーラ
エーテル体
アストラル体
コーザル体
などわたしたちの層
すべてを感じるための行為の
ようにわたしには感じられます
自分がどこに働きかけたいのか
寛ぎのため
ヒーリングのためであれば
筋肉、体、心すべての
力を抜く、緩めることが必要となるので、
形に拘る必要はありません。
が
スピリット、精神性へのアクセスのためには「座る」「座法(背筋をまっすぐにして座る座り方)」は大切になります。
ですが
どちらにしても
形が重要なのではありません
座り方にこだわりすぎて
瞑想を苦手になってしまう方がいることはとても残念です。
座ることができなくても
瞑想はできるのです
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